2013/09/30

『ねずみのティモシー』 マルチーヌ=ブラン


発明の天才、ねずみのティモシーが本当に大切なものに気づく物語。

ティモシーは愛する奥さんジェニーのために、
料理を作りやすくする機械を発明。
その発明をきっかけに、
ティモシーは自分が天才かもしれないと思いつき、
次々と機械を発明。
いつしかねずみの世界はなんでも機械にやってもらうようになってしまい、
みんな、機械の番をするのに大忙し(なにしろ、酸素製造販売まである!)。
けれども、ティモシーの家族はひとつも嬉しくなーい!
だって、パパがぜんぜんかまってくれないんだもん。
可愛い5人の子どもは、泣いたり落ち込んだりぷりぷり怒ったり。

そんなある日、ティモシーはさびしくて泣いてばかりいる子猫に出会い、
機械を作って泣き止ませてあげようと頑張ります。
でも、子猫はいっこうに泣き止まず。
困ったティモシーは、賢くて優しい奥さんと、子供たちのところへ子猫を連れ帰ります。
そこで彼らが子猫にしてあげたこととは・・・?

物質の豊かさが心を満たすのではない。
大切なのは、家族がそばにいてくれること、愛していると、そばにいることで伝えてあげること。
そして、週末にはみんなでそろっておでかけしたりすること。
そういうことが幸せなんだよーって、
とっても分りやすく伝えてくれる絵本。

作者のマルチーヌ=ブランさんは建築家で、これは初めての絵本だそう。
建築家なだけあって、
彼女の絵はとても微細で、ティモシーの発明も細かく描かれていて、
子どもの頃、こういう細かい絵にときめいたよなぁ~と感じ入っちゃう(いまも細かい絵好きだけど)。
細かいだけじゃなく、なんとも言えない可愛らしさもあって、それが他にはない可愛さなので、
ちょいと癖になってしまいそう。
5人の子どもの個性も豊かに描かれていて、
ああ、この人、子どもをよーく見ている人なんだなぁと思った。

『飛ぶ教室』 エーリヒ・ケストナー

二つの翻訳で読んでみた。

まず、角川つばさ文庫の新訳バージョン。
これはとても読み易かった(イラストも多く、漫画みたい)。
次に、岩波少年文庫の定番もの。
こちらも新訳に負けず劣らず、読み易い。
つまり、まあ、どっちもいいよね!ってことで。

ただ、誓いの言葉は、
「あったりまえ!」よりも、
「鋼の誓い!」のほうが、しっくりくるかな。
マティスの口癖も、
「ちっ!まいったなぁ」の方が、
「くっそお、くっそお!」よりも今の子向けかも。
かといって原書から離れているわけでもないので、
小学生に勧めるなら、角川つばさ文庫かな?
まあ、好みにもよるけど。
角川のイラストは可愛いけど、
岩波のイラストは、
作者エーリヒ・ケストナーの友人である挿絵画家のトリアーが描いたもので、
作品に寄り添って、想像力を妨げない良質な挿絵だと思う。


さてさて、本編について。

まず、「まえがき」が、とても好き!!なので、一部抜粋。

 どうしておとなは、自分の子どものころをすっかり忘れてしまい、子どもたちには悲しいことやみじめなことだってあるということを、ある日とつぜん、まったく理解できなくなってしまうのだろう。(この際、みんなに心からお願いする。どうか、子どものころのことを、けっして忘れないでほしい。約束してくれる?ほんとうに?)
 人形がこわれたので泣くか、それとも、もっと大きくなってから、友だちをなくしたので泣くかは、どうでもいい。人生、なにを悲しむかではなく、どれくらい深く悲しむかが重要なのだ。誓ってもいいが、子どもの涙は大人の涙よりいちいさいなんてことはない。おとなの涙よりも重いことだって、いくらでもある。誤解しないでくれ、みんな。なにも、むやみに泣けばいいと言っているのではないんだ。ただ、正直であることがどんなにつらくても、正直であるべきだ、と思うのだ。骨の髄まで正直であるべきだ、と。(P20)


 へこたれるな!くじけない心をもて!わかったかい?出だしさえしのげば、もう勝負は半分こっちのものだ。なぜなら、一発おみまいされてもおちついていられれば、あの二つの性質、つまり勇気とかしこさを発揮できるからだ。ぼくがこれから言うことを、よくよく心にとめておいてほしい。かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ!世界の歴史には、かしこくない人びとが勇気をもち、かしこい人びとが憶病だった時代がいくらもあった。これは正しいことではなかった。

 勇気ある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気をもつようになってはじめて、人類も進歩したなと実感されるのだろう。なにを人類の進歩と言うか、これまではともすると誤解されてきたのだ。(P25)


エーリヒ・ケストナー、カッコよすぎる!!こんな言葉を言ってあげられる大人でありたいよ!!

ケストナーがこれを書いたのはナチス政権下の1933年。この時代に、当時すでに人気作家だったケストナーは民衆に向けて命がけの警鐘を鳴らした。こんな時代だったからこそ、腕によりをかけて子供たちに最高のクリスマスプレゼントを『飛ぶ教室』という作品に込めて贈ったのだ。

物語は、ドイツの寄宿学校で5人の少年を中心に繰り広げられる。彼らの友情は、大人になってしまった私から見ると、こしょばゆいほど熱く、眩しく見える。そして懐かしくもある。そして、印象的なのは二人の大人(正義さんと禁煙さん)と少年たちの信頼関係。それは友情とも呼べるもので、でも、大人しか与えてあげられないものもあり、こんな大人が傍にいてくれる学校に子供を預けたいなと心底思ってしまう。

『飛ぶ教室』はそんな彼らのクリスマス(に向ける準備やクリスマス当日のこと)を描いているのだけれど、ほんの数日間なのに、事件は勃発するし、心躍ることも、心痛めることも、たくさん起こる。そして少年たちの絆はさらに深まり、成長していく。彼らはきっと、このかけがえのない日々を胸に、大人になっていくのだろうな。どんなに素敵な大人になるんだろう、楽しみだ。

クリスマスの時期に、読みなおしたくなる作品。子供への接し方に悩んだときも、読み直すだろうなぁ。そして、この本、子供がもう少し大きくなったら、寝る前にでも読み聞かせしてあげたいなー。毎日少しずつ読んだら、次の日の読書タイムを待ちきれないことでしょう。展開が楽しみ過ぎて、夜、寝れなくなったらどうしよう(まあ、それもまた良い思い出になるよね!)。笑

『あしながおじさん』 ウェブスター

ジュディという孤児の少女がお金持ちの謎の紳士に大学へ行かせてもらう。
そこでの生活を一か月に1回、手紙で紳士に報告するという唯一の条件付きで。
ジュディは正体を明かさないこの紳士に、あしながおじさんという愛称を付けて、
まるで肉親に送るかのような親しみのこもった可愛い手紙を送り続ける。

この手紙がユーモアに溢れ、
思わず「ぷぷっ」と吹いてしまう文面が盛りだくさん。
また、孤児院から一歩も出れない生活の中、
刺激や勉学や自由に飢えていたジュディの溢れんばかりの喜びに満ちており、
読んでいてワクワクしてくる。

ジュディの魅力もあるけれど、
手紙という形式がこれまた面白い。
ある日の手紙とその次の手紙の間に、
ジュディの悩みが深刻化していたり解決していたり。
ジュディが大学で習って感動すると、そのことに文体が影響をうけまくったり。
ジュディの望みをあしながおじさんが叶えてジュディが喜びを伝えたり。
ジュディを喜ばせたいあまりに贈り物を贈り過ぎて、あしながおじさんが空回りしたり。

この手紙がジュディの卒業まで続くのだけど、
そのあいだの二人の間の気持ちの変化や距離の変化も面白いし、
ああ、この時のあしながおじさんの意味不明な行動は、
そういう理由からだったのね、可愛いなぁ、おじさん、となったり。


生活の合間合間を縫って夢中で読んで、二日で読了。
ワクワクしながら読んで、
ジュディの快活さや文学好きなところ、
そしてあしながおじさんが与えてくれた環境に感謝し、
あしながおじさんを本当に愛しつつも決して甘えないところに、
ものすごく好感を持った。すごい娘だなと思った。
愛すべき人です、ジュディは。

こんなにも物語の主人公を好きになったのは、
赤毛のアン以来かもしれない。
ところで、ジュディとアンが出会ったら、どんなことになるかな??
二人はとても仲良しになると思うのだけれど、
そんな物語があったら、ぜひ読んでみたいな。

あと、ジュディは心から大学生活を楽しんでおり、
ああ、大学ってこうやって楽しむもんだよなぁと、しみじみしてしまう。
自分の大学生活を懐かしく思うと同時に、
もっと勉学に励めばよかったかしらん、と思ったり。笑
とはいえ、高校生や大学生にもぜひ読んでもらいたいな。
児童文学の名作というのは、一生涯のお付き合いになるよね。



私はサリーほど好きな人はほかにいないと思います―――おじ様は別ですけれども。私は誰よりもおじ様がいちばん好きでございます。なにしろおじ様は、私の家族全体を一まとめにした方なんですもの!(P42)

このおじ様からの花束こそが私が生まれて初めて受けたほんとうの贈り物でございます。私がどんなに赤ちゃんかということを申し上げましょうか・・・・・・私はうれしさの余り泣き伏してしまったのでございます。
これでおじ様が私の手紙をお読みになっていてくださるということがわかりましたから、今後は赤いリボンで束ねて金庫にしまっておおきになる価値のあるような面白い手紙を書くことにいたします。(P55)


義務なんて気持ちの悪い厭な言葉です。子供たちには何事も愛の気持ちからするように教えなければならいと思うのです。(P113)

世の中には幸福が満ち溢れていて、自分の前にきたものを何でも受けいれる気にさえなれば、誰にでもまんべんなく行きわたるだけ、十分にあるのです。ただそれを受ける秘訣は素直な気持ちでいることです。(P136)

何より大切なのは、大きな素晴らしい喜びではなく、ささやかな喜びを見出していくことです―――おじ様、私は幸福になる本当の秘訣を発見しました。それは現在に生きることです、いつまでも過去のことを悔やんだり、未来を思いわずらったりしていないで、今のこの瞬間から最大限度の喜びを探し出すことです。(省略)私は一秒一秒を楽しみ、しかも自分がそれを楽しんでいることを自覚しているのです。たいていの人は生活しているのではなく競争しているのです。地平線の遥か彼方の決勝点に一刻も早く着くことにばかり熱中して、息を切らせてあえぎながら走っていて自分の通っている美しい静かな田園風景など眼にも入らないでいるのです。そのあげくにまず気がつくことは自分がもう老年になり、疲れ果ててしまい決勝点に入ろうが入るまいが、どうでもいいことになっているのです。私はたとえ大作家になれなくてもかまいませんから、人生の路端に坐りこんで、小さな幸福をたくさん積み上げることにしました。(P159)

二伸
これは私が生れて初めて書いたラブレターです。ちゃんと書き方を知っているなんて妙ですわね?(P218)


なんかもう、これは、好きになっちゃいますよねぇ。