2014/06/26

『チリとチリリ』シリーズ


『チリとチリリ』シリーズ。
独身の頃から好きで、よく一人で読んでいたのだけれど、
最近娘のお気に入りになったようで、
毎夜、チリとチリリをごっそりと持ってきて読んでと言う(全6巻)。

わたしとしては、好きな絵本なので嬉しいのだけど、
それにしても、全6巻を日によっては2周とかするので、
他の絵本に辿り着かないという・・・。笑

とはいえ、ディテールまで丁寧に描きこまれていて、
文章もリズムよく、
まいかい楽しく読める。
木陰に鹿がいたり、地下の土の中にモグラがいたり、
そういった小さい部分を見つけて私も娘も喜んだりして。

見開きで描かれた色とりどりのページなんかは、
開くたびに、「うわぁ~綺麗」と感嘆。
わたしが好きなのは『まちのおはなし』。
糸屋さんや織物屋さんのシーンは、
(それらを好きというのもあって)ドキドキする。
このお店、入りたいなぁと思う。
娘がとくに好きなのは、
『ちかのおはなし』のお花いっぱいのシーン。
「ママはどのお花が好き?ゆいちゃんは、このお花」とか言ったりする。
あとは『ふゆのおはなし』の温泉のシーンがお気に入りみたい。

宝石箱のようなシーンが多くて思わず心のなかで抱きしめたくなるこちらのシリーズ、
チリとチリリの愛らしさもあいまって、とにかく大好きな作品。

http://www.ehonnavi.net/special.asp?n=163

2014/06/10

『どうか忘れないでください、子どものことを。』



たくさんの育児書を読んだ。「どうすれば理想的な子育てができるのか」。理想像も具体的には思い描けないまま、どんどん頭でっかちになっていった。

でも、この本に出会えて、憑き物が落ちた。この本の「はじめに」で佐々木先生がおっしゃっていることを、これからの信条にしていこう。そう決めました!


お母さん  お父さんへ

どうか忘れないでください。

子育てでなにより大切なのは、
「子どもが喜ぶこと」をしてあげることです。
そして、そのことを「自分自身の喜び」とすることです。

子どもは、かわいがられるからいい子になります。
かわいい子だから、かわいがるのではないのです。

いくら抱いても、いくらあまやかしてもいい。

たくさんの喜びと笑顔を親とともにした子どもは
やがて、人の悲しみをも知ることができるようになります。

誰とでも喜びと悲しみを分かち合える人に成長するでしょう。

これは人間が生きていくうえで、
もっとも大切な、そして素晴らしい力です。

佐々木正美


以下、他にも心にとどめておきたい文。

お母さんは「泣けば買ってもらえると思っているから泣くのだ」と思うかもしれないけれど、これは大きな違いです。その子には「泣かなくても買ってもらえた」という経験が少ないのです。おやつひとつでも、小さなおもちゃでも、「どれが欲しい?」「これがいい」と言って、それを買ってもらった経験がほとんどないのだと思います。
その子が泣くのは「このおもちゃがどうしても欲しい」からではありません。お母さんに自分の言うことをもっときいて欲しい、ということなのです。p28

「乳幼児期に泣いて訴えることに対し、何千回も繰り返し応えてもらう経験が、その子が大きくなったとき人間関係に喜びを見い出す力になる」(アメリカの乳幼児精神医学の専門家ブルース・ペリーの言葉)p36

泣いているときに放置されずできる限り適切に応じようとする人がいて、その頻度が多ければ多いほど、その子は人間関係の喜びを知ることができるようになる。p38

基本的なところですべて子どもの願いをかなえてやるのだ、という気持ちは、どんなしつけよりも子どもに届きやすいのです。〈中略〉小さなことでも、自分の願いをきいてくれた、希望をかなえてくれた、という経験の多さが大切なのです。〈中略〉親に願いと希望をかなえてもらった、いつも許してもらえた、という経験によって、ある段階で必ず大人の言うことも理解し、叱らなくても自分で判断して悪いことはやめる、ということができるようになります。p47

「大切にしてもらった」「大切にされている」経験が、自分自身を大切にしよいとする気持ちにもつながっていくのだろう、と考えられます。p76

必要なのはお金をかけることなどではなく、目と、手をかけてあげることです。p83

子どもが何を要求しているのか、じっと見てあげてください。〈中略〉子どもがなにをしてほしいのかわからない、というのなら、ちょっとしたコツわやお教えしましょう。子どもの好物がわかっていても、黙ってつくって出すのではなくて、「なにが食べたい?」「なにが好き?」と聞いてからつくってあげるといいと思います。子どもは、毎回「ハンバーグ」と言うかもしれない。「ええ?またハンバーグなの?」と言いながらでも、何度でも作ってあげればいいのです。p106

大切なのは「質問する」のではなく、耳を傾けることで、相手に自分から話させることです。p108

根本的なところに立ち戻ってみてください。親は、多少甘やかしすぎようが、かまいすぎだろうが、常に子どもを保護し、認めてやることかま一番の役割です。子どもを喜ばせること、それを自分の喜びにできれば、それがなにより大切で、それができているなら、しつけなんか二の次でいい、ということを思い出してみてください。p114

親が9割手伝って、最後の1割ができればほめてあげましょう。叱ることはとても簡単です。待つことはとても難しい。けれども、親は待つことが、叱ることより大事な仕事なのです。「何度でも言ってあげる」「できなかったら何度でも教えてあげる」のが親なのです。p115

相手がなにかをしてくれたら、「ありがとう」と口にすることです。なんどでもお礼を言ったほうがいい。子どもに「ありがとうは?!」とお母さんはよく叱り、しつけるけど、お母さん自身がいつも「ありがとう」と言うことが、なによりも大事なのです。p132

子どもにはまず小学校に上がるまでは、母性的なものをいっぱい与えてやってほしい。〈中略〉乳幼児期のお母さんは、ただやさしいだけでいい、と思います。あとの大切なことはみんなほかの人にまかせたらいいのです。お父さんひとりの家庭でも同じです。「自分ほど、この子にやさしくしてやれる人はいない」と思えるくらいに、子どもにやさしくしてあげて欲しい。しつけ、教育、訓練などをしてあげなくてはと思う必要なんかないのです。なぜかというと、子どもが一歩家を出たとたん、そこは父性的な社会だからです。家ですべてを受容してもらう経験をたくさんすることで、幼稚園、保育園という「社会」で、もう少し人間関係を広げることができる。p137

子どもがどんな生き方を選ぶのであれ、人間として社会で幸福に生きていく力をつけるために親ができるたったひとつのこと、そして一番大きいことが、常に許されてくつろげる「家庭」という場所を与えてあげることです。それが生きていくための力になる。いい子だからかわいがる、言うことをきくからやさしくするのではありません。子どもというのは、かわいがるから、言うことをきいてやるから、いい子に育つのです。p142





2014/06/07

『昨夜のカレー、明日のパン』



人を元気にしてくれるのは、旅行とか、パワースポットとか、そういうぶっ飛んだものじゃなくて、日々の当たり前のことなのかも。当たり前に感じている幸福なことが、たくさんあるんだよな。それを、味わってみること。気づくこと。鈍くなりたくないな、と思う。

と、この本を読み終わって、この文章を書きながら、そんなことを考えた。『昨夜のカレー、明日のパン』、すごくいいタイトル。こういう言葉、それにまつわる日常や思い出が、深呼吸をさせてくれるのかもな。この小説、肩肘張ってなくて、寄り添ってくれて、そっと背中を押してくれて、優しい。好きだなあ。深呼吸の必要を感じているとき、ぴったりだな。


パンの焼ける匂いは、これ以上ないほどの幸せの匂いだった。店員が包むパンの皮がパリンパリンと音をたてたのを聞いてテツコとギフは思わず微笑んだ。たった二斤のパンは、生きた猫を抱いた時のように温かく、二人はかわりばんこにパンを抱いて帰った。
悲しいのに、幸せな気持ちにもなれるのだと知ってから、テツコは、いろいろなことを受け入れやすくなったような気がする。p21

「いい名前だな、タカラ」
「いい名前ですか?」
「いい名前だよ」
そう言った後、黙って窓の外を見た。空を見ているようだった。そして、
「オレ、くたくたになるまで生きるわ」
と言った。
窓からの陽がお父さんの横顔を美しく照らしていて、フェルメールの絵画のようだった。静かで、でも揺るぎなくそこにいた。p60

「知りませんか?八木重吉」
テツコが知らないと言うと、詩人です、と言って、女の子は突然、暗唱し始めた。
   
   わたしみづからのなかでもいい
   わたしの外の  せかいでも  いい
   どこにか  「ほんとうに  美しいもの」は  ないのか
   それが  敵であつても  かまわない
   及びがたくても   よい
   ただ  在るといふことが  分かりさへすれば、
   ああ  ひさしくも  これを追ふにつかれたころ

夜の空に女の子の声が途切れて、しばらく二人は黙っていた。
「八木さんに言ってあげたかったなぁ。あるかもよって」
そう言って女の子は、歩き出した。
まだ、細い子供の足だった。p156