2013/09/30

『飛ぶ教室』 エーリヒ・ケストナー

二つの翻訳で読んでみた。

まず、角川つばさ文庫の新訳バージョン。
これはとても読み易かった(イラストも多く、漫画みたい)。
次に、岩波少年文庫の定番もの。
こちらも新訳に負けず劣らず、読み易い。
つまり、まあ、どっちもいいよね!ってことで。

ただ、誓いの言葉は、
「あったりまえ!」よりも、
「鋼の誓い!」のほうが、しっくりくるかな。
マティスの口癖も、
「ちっ!まいったなぁ」の方が、
「くっそお、くっそお!」よりも今の子向けかも。
かといって原書から離れているわけでもないので、
小学生に勧めるなら、角川つばさ文庫かな?
まあ、好みにもよるけど。
角川のイラストは可愛いけど、
岩波のイラストは、
作者エーリヒ・ケストナーの友人である挿絵画家のトリアーが描いたもので、
作品に寄り添って、想像力を妨げない良質な挿絵だと思う。


さてさて、本編について。

まず、「まえがき」が、とても好き!!なので、一部抜粋。

 どうしておとなは、自分の子どものころをすっかり忘れてしまい、子どもたちには悲しいことやみじめなことだってあるということを、ある日とつぜん、まったく理解できなくなってしまうのだろう。(この際、みんなに心からお願いする。どうか、子どものころのことを、けっして忘れないでほしい。約束してくれる?ほんとうに?)
 人形がこわれたので泣くか、それとも、もっと大きくなってから、友だちをなくしたので泣くかは、どうでもいい。人生、なにを悲しむかではなく、どれくらい深く悲しむかが重要なのだ。誓ってもいいが、子どもの涙は大人の涙よりいちいさいなんてことはない。おとなの涙よりも重いことだって、いくらでもある。誤解しないでくれ、みんな。なにも、むやみに泣けばいいと言っているのではないんだ。ただ、正直であることがどんなにつらくても、正直であるべきだ、と思うのだ。骨の髄まで正直であるべきだ、と。(P20)


 へこたれるな!くじけない心をもて!わかったかい?出だしさえしのげば、もう勝負は半分こっちのものだ。なぜなら、一発おみまいされてもおちついていられれば、あの二つの性質、つまり勇気とかしこさを発揮できるからだ。ぼくがこれから言うことを、よくよく心にとめておいてほしい。かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ!世界の歴史には、かしこくない人びとが勇気をもち、かしこい人びとが憶病だった時代がいくらもあった。これは正しいことではなかった。

 勇気ある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気をもつようになってはじめて、人類も進歩したなと実感されるのだろう。なにを人類の進歩と言うか、これまではともすると誤解されてきたのだ。(P25)


エーリヒ・ケストナー、カッコよすぎる!!こんな言葉を言ってあげられる大人でありたいよ!!

ケストナーがこれを書いたのはナチス政権下の1933年。この時代に、当時すでに人気作家だったケストナーは民衆に向けて命がけの警鐘を鳴らした。こんな時代だったからこそ、腕によりをかけて子供たちに最高のクリスマスプレゼントを『飛ぶ教室』という作品に込めて贈ったのだ。

物語は、ドイツの寄宿学校で5人の少年を中心に繰り広げられる。彼らの友情は、大人になってしまった私から見ると、こしょばゆいほど熱く、眩しく見える。そして懐かしくもある。そして、印象的なのは二人の大人(正義さんと禁煙さん)と少年たちの信頼関係。それは友情とも呼べるもので、でも、大人しか与えてあげられないものもあり、こんな大人が傍にいてくれる学校に子供を預けたいなと心底思ってしまう。

『飛ぶ教室』はそんな彼らのクリスマス(に向ける準備やクリスマス当日のこと)を描いているのだけれど、ほんの数日間なのに、事件は勃発するし、心躍ることも、心痛めることも、たくさん起こる。そして少年たちの絆はさらに深まり、成長していく。彼らはきっと、このかけがえのない日々を胸に、大人になっていくのだろうな。どんなに素敵な大人になるんだろう、楽しみだ。

クリスマスの時期に、読みなおしたくなる作品。子供への接し方に悩んだときも、読み直すだろうなぁ。そして、この本、子供がもう少し大きくなったら、寝る前にでも読み聞かせしてあげたいなー。毎日少しずつ読んだら、次の日の読書タイムを待ちきれないことでしょう。展開が楽しみ過ぎて、夜、寝れなくなったらどうしよう(まあ、それもまた良い思い出になるよね!)。笑

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